blog 欠落感と lacking sense

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blog ikoi girl欠落We have no lack of fuel. 燃料には事欠かない.


そもそも他者に体系化された表現自体弱い、と思ってしまうが。表現は個人的なもので、個人は肉体だから、表現が表現者に必要なものでなくては強い表現にならない。主体性が無くてはいけない。目に見えて表現が変わるというのであれば、表現者の生活の変化によって必要なものが変質したというコンデション周辺のことで納得したい。
カオスラウンジに行く。友人が参加するカオスラウンジという名のグループ展。キュレーターが雄弁。
スーパーフラットは、概念としては定まってはいないのか、もう10年だ。自分が19歳の時にそれが発言された。ポストスーパーフラット(?)という意識があるのかないのか、カオスラウンジは同世代という認識を私はもってしまう。大衆俗悪凡庸普遍主義文化の時代で同世代の連中の考えていることとして、身内な感じがする。彼らがその活動をどう更新していくのか興味があるところ。しかしこのことでいえば、スーパーフラットだけに根拠を見出すのは乱暴だ。中国バブルで売れる作風が変わったし。マイクロポップというキーワードもあった。個人的テロという言葉も抜きがたい。19歳、自分は美術予備校生1年目だった。普通の理系大学を受験し、翌年から美術専攻に変えた。作家になりたそうな幼馴染がいた。趣味が合うやつだったが、彼は専門学校に行き、最近は疎遠だ。その進路の取り方に分岐点の暗示を見る。表現とか、造形に対しコンプレックスや、相いれないものとして彼は見ていたのかも。石膏デッサンに四苦八苦した集団に属した経験の有無に何かの分岐があると思う。造形の伝統技術体系を軽んじた態度というべきか、造形中の葛藤だとか苦しみへの理解は彼には感じられなかった。記号表現で組み立てていく彼はもともとそういう奴だった。へたうまの恩恵を受けている。レッテルを記号的な、凡庸性に置き換えていく。キャラクターのヴィジュアルを造形の骨組みに転用する考えは、へたうまに根差している説。転用は叩かれることからの逃げか。責任逃れ。表現者の覚悟は?確かにつまらない疑問だ。ジャンクな方法論だ。サイバーパンクはいい。が。空手バカ一代的な感覚ではない。遊びの延長であれば良いのにと思う。批評家のロジックの上のロジックで価値を作るやり方はサブプライムローンを彷彿とさせる。金融工学的?難しいので知りません。良いクーンズの作品にしても単純な理屈ではある。   日本画の昭和を範疇にした文章家が欠乏しているという。昭和はもう評価できるそうだ。それらに関して個人的にはノーコメントでしかいられない。ただ言えるのは、北千住に造詣の大変深いコレクターが知人にいるが、その人物のことを思い出すことしかできなかった。その人の店はある意味リアルカオスラウンジだ。
カオスがフラットに並列されるのならば、高い文化度で並列されてほしいものである。マックのハンバーガーはマニュアルで作れる、大体のフランチャイルド店はマニュアル化である。私はそれが嫌いなときがある。それは私自身が無意味にマニュアルに踊らされ疲れている時だ。背景に飲食店バイト生活を思い出していけない。
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by wasurerare | 2010-04-13 16:13 | Ikoi_Girl__憩娘
Tomoaki Shibata, Artist from Japan is owner of this home page since 2006.Tomoaki runs own 2 home page. Another is main act. This act: news&blog Another:main.. http://wasurerare.jimdo.com/
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