blog schola {時間とは何か(チャールズHホランド)と哲学教科書読みなおし中}

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Blog 憩い

不安定であることを良しとすると、簡単に揺らげるようなスタンスをもたないといけない。まだ難しい。
多作になることはその変化の途中過程を断面化することになるのだろうか。しかしそれは移行の途中ではいけないのかもしれない。その流れだと描きこむことは像の多重化になる。その方が自分個人的には良しとする。不安定でなければいけないのなら良いものを作ろうとしてはいけない、それは違うか。
リアクションの上に成り立つ表現ということだと、インフラはどこまで必要か、表現者の感性、ではまだ弱いのだろうか。能動的な調査とか取材の必要がある。か.アイデアや思いつきも多い。
日本画の家系に連なることで、そのあたりは自然に描くことが出来る気もする。
職人の気質ではない。

schoolはギリシャ語の語源で余暇だそうで。労働やその日の生活に追われることの逆さでさあね。
ということはそもそも学校、学業なんてものは課題だとか休んじゃいけないとか、義務は余暇ではないし、職業訓練とは違います。職業訓練校は別ですが。
哲学芸術は義務じゃない。ところが自分は職業で美術作家をしている。
現実に義務感ばかり。追求すべき問題は実はそういった義務感ある日常に蝕まれているのではないかと疑問に思った。。
さしあたっての問題は義務から生活していることだ。自分の多作さは勤勉な団塊の背中を見てきたからではないのか。
団塊の義務的な労働の量は非常に大きい影響だ。テレビのタレントが忙しく働く。週刊漫画雑誌では死に物狂いの漫画家たちが毎週漫画を描く。それといったのは義務感なんじゃないか。
自分の制作はお金に変わることがほとんどない。
逆にお金が出来るようもがいてしまう。
乞食もあわてると貰いが少ないというが、絵描きにもあてはまるだろう。出来る限り無気力に制作しようかとも思う。それ以前に生活が楽しくなくてはいけないのだ。
とはいえ楽しい生活などなかなか難しい。絵を描くことは楽しめるが、他のシーンで楽しむことはほとんどない。貧乏になれば酒も楽しく飲めない気がする。
絵を描くことで身内が嫌な顔をすることほど応えるものはない。
しかし自分にとって絵を描くことは不特定多数に媚びることではないのである。
闘争である。だから熱狂の中に没入しなくちゃういけないという義務がある。
しかしそれは何かのリアクションということで受動的である。
能動的に生きるからこそのリアクションではある。
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by wasurerare | 2010-04-15 20:33 | Ikoi_Girl__憩娘
Tomoaki Shibata, Artist from Japan is owner of this home page since 2006.Tomoaki runs own 2 home page. Another is main act. This act: news&blog Another:main.. http://wasurerare.jimdo.com/
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