疑似応募blog

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blog ikoi漫画のような絵、相違ない。私の絵は漫画か漫画じゃないのか、漫画ではないとはっきり言う。けれどそれがどうした。サービスのような絵画構築プロセスは私にはなじまない。いまこそさらに日本的な、独自な方法が望まれるのではないか、私の体は感じている。耽溺するほどに絵画に明るくない。アカデミズムはそれしか絵として認められるものがない。現代、クラシカルであるとすることすら足かせになる現実がある。作家としての親殺し、それは私に向いているのではないか。それは構築ではない。 暴言や暴力だ。 それが今を生きることの切実さだ。その運動はぬくい家を捨てるべきだ。だからこそ自分の手や足が武器なのだ。ないところに行き、ないものを仕立てることの重要さ、それが自分の意義だ。何かになろうとしてはいけないのではないか。自分が自分になろうとしてはいけない。目の前を追うのだ。日本画の創世記、独自のイデオロギー、理念が新しく、それだからこそ名作が生まれた。しかしそれはそれなのだ。すでに受けた影響以上吸収しようと頭でっかちになったらいけない。なにもないから仕立てることが私の美ではないか。無化されたものから神聖な楔のような切実な生が立ち上がる。なにもないところから出発するべき美、最近の私の私の制作の為のパラダイムです。そして作品は他者に向けられます。私を私によって私の美術の教科書を無化すべきであると思います。個人の時代だからということで無しに。自我の現実と社会の現実との相克が夏目漱石以来の文学のテーマなら、なおさらです。私は清潔なホームレスになりたいと思っています。現在私はそこそこ清潔ですが、ホームレスではありません。特定されること、管理さることとの自我の相克があるのは何故か。それが顕著なのは何故でしょうか。高校の同期は大学の師をトイレで刺殺し、秋葉原で大ぜいを殺した犯人が神だと言われます。私も自我に重きをもった人間でデリカシーやプライバシーに敏感です。ホームというのはぬるく甘い響きですが、出生地という意味のホームは相克に溢れ、甘さに身を委ねようものならヘンゼルとグレーテルのお菓子の家の魔女よろしく狂気、無知のエゴの暴力に無防備にさらされます。人は親殺しをします。本当の意味の蜂蜜のようなホームは獲るものです。連続射殺魔の永山則夫は青森から東京に行きました。私は東京で生まれ、今、青森に行こうと思っています。集団就職が私の父の世代で、その子の私も、永山について考えた時期がありました。永山は暴力で人を殺めました。私は美術家です。人を殺したりしません。そして現代美術でびっくりさせること、それはある意味で暴力なのだと思います。しかしぎゃくに安らぎを愛する私もいます。本来、自我の強い人間というのは理想主義者です。平穏を望み、お酒も好きで人類みな兄弟が理想です、それはふんだんな、愛です。私は私の絵を優れたものにしたい欲望から応募します。竹の紙による巨大絵画制作。
何もないところから出来た素材は神聖な感覚で制作を導きます。
何もないというのはケがれがないということです。

全国で竹の有効利用は望まれています。
喜ぶ人がたくさんいるということです。
竹紙の制作、

参加者と助け合い竹から繊維を取り出し、漉く。
作家も不慣れであること、びっくりしながら楽しむ。
AAN00143
100134
https://wnms2.y-logi.com/Artaward/Frame.aspx
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by wasurerare | 2010-05-11 03:38 | Ikoi_Girl__憩娘
Tomoaki Shibata, Artist from Japan is owner of this home page since 2006.Tomoaki runs own 2 home page. Another is main act. This act: news&blog Another:main.. http://wasurerare.jimdo.com/
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