神主

ファーレ立川のパブリックアートを久しぶりに見た。

新潟で活動しているからか北川フラムさんの仕事について
つい注目してしまう。
自然の中でも都市の中でもパブリックアートが唐突に存在するのは
気持ちがいい。
都市の住民のそれらのアートへの関心があまりなさそうなところも
何かの意図の成功を感じさせられる。
インド人の新しいカレー屋に行く。
おいしかったが体調不良。太りすぎか。

たまたま道で幼馴染に会った後、

知人の神主にたまたま会う

そういえばグローバルな仏教やキリスト教と違い
祝詞は日本語で書かれている。それを読むのも日本語でよむ

聖書は翻訳されているしお経は日本語じゃない。
祝詞は日本書紀(720-)の抜粋らしい。

考えると神道は2600年ぐらい前にできた(だったけ?)説があるが
ピークはいつだったのだろうか。
神主に言わせれば江戸時代か聖徳太子の時代という。

多宗教の神で構成される七福神は江戸時代にあらわれたときいた。

布でぐるぐる巻きにされ頭に杭を打たれた聖徳太子の彫刻をフェロノサが暴いた、という
エピソードをネットで見つけた。

フェロノサといえば大観、とくる。

藤田嗣治さんはキリスト教に改宗し、平山郁夫さんは仏教の絵を描く。

そうくれば次にくるのは神道かもしれない。

21世紀の日本人画家は神道や山伏をシュミレーションすれば面白がられるかもしれない
このグローカルという言葉をよく聞く今日では。
ただ、ローカルすぎるところが問題でさじ加減が必要だろう。

実際、山岳信仰や海の信仰は原始的ゆえに中立で豊かな印象がある一方で
自我の尊重や個人主義という近代化以降のアートを可能とする精神に対応していないコンセプトかもしれない。
そもそも自分の場合、気持ち悪いくらい自然美を崇拝する輩が大嫌いなのですこし引っかかる領域でもある。

でも教じゃなくて道であるところに貴重な救いを感じる。
つまり道なら自然じゃなくてアスファルトでも可









喫茶店で神主にあった。

自分は無知で虚実判断できないが祝詞の話を聞きかじり興味深く妄想に耽った。

日本の宗教で日本語らしい日本語を唱えるのは神道だけかも
もしそうならより早い段階で日本人専用に作られた宗教かと思う。

戦後、戦中、戦前、日本人の画家にとって宗教とは何だったのか。
平山郁夫さんは仏教にテーマを絞り、藤田嗣治はキリスト教に改宗した。
聖徳太子が従来の仏教伝来のヒーローとされる情報は根拠がなく
実はフェロノサが発見した聖徳太子の彫刻は後頭部に杭が打たれており
暗殺された神道よりの聖徳太子の霊を鎮めるためのまじないの流れで仏教を伝来させた伝説的な人物に仕立て上げたという説もあるようだ。

山岳信仰や海信仰という態度はある意味原始的に聞こえるがそれ故に中立で豊かな気がする。
だが、それがアートを可能とする自我の肯定や個人主義という近代化以降の精神にも対応するかはよくわからない。
それにそもそも自分は無条件のごとく熱烈に自然美を賛美する輩が心底嫌いだ。

とはいえGLOCALな21世紀、これからの日本人画家は神道とか山伏をシュミレーションするのが斬新でおもしろがられるかも、ややローカルすぎるだろうか
そんな自分は神道や山伏を真面目に研究する意思は薄い。

さっきネットで読んだのは「かぐや姫」のもともとの意味を推測する文だったがもともとは火山周辺に住んでた人たちへも波及する律令制への反発する描写の物語という。・・まあいいや。寝ます。

いまの祝詞は日本書紀から抜粋されたという。 養老4年 (720) 成立?
神道のピークは多分江戸時代か仏教伝来以前、聖徳太子とか蘇我入鹿の時代・・・。
と、考えると仏教においやられる神道という構図があり
個人的には追いやられた側に興味がる。
七福神は江戸時代にあらわれる。
七福神は多宗教だが、神道はそのことも普通らしい
教ではなくて道だからだろうか。

・・・自分の場合やはり神道は外部のもんだと認識した方が良いと結局おもいいたる。
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by wasurerare | 2014-05-21 00:43 | Ikoi_Girl__憩娘
Tomoaki Shibata, Artist from Japan is owner of this home page since 2006.Tomoaki runs own 2 home page. Another is main act. This act: news&blog Another:main.. http://wasurerare.jimdo.com/
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