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2010/3/31

artist statement
現時点で多くの作品を生み出し発表している、その数で、日本人の同世代の中では目覚ましい活躍をしていると言われる。絵画である作品群は、木枠やパネルと言った形式を拒絶しているような発表様式を用いることが多くなった。
それを人々が絵画であると呼べるかどうか疑問の残るところではある。
しかしながら作家としての本人の信念からすれば、創作の現場で表れる表現はありきたりのものではいけないのだ。流通の都合として、歴史的に額縁や掛け軸などのフレームの系譜があり、保存に適したものとしての絵画用の素材、絵画表現に価値与えるためのモチーフや遠近法の流行があったと捉えている。
大体映像的な文化でそだったもので、急に油絵とキャンバスをブラシを握れといっても、違和感がある。
あくまでそれらは既成概念であって目の上のたんこぶのようなものだと捉えている。
それらの伝統的テクニックに取捨選択の余地はあるし、個人としての作家が今日なされるべき表現という問題と切り離して優先することの弊害はないのだろうか。
ところが一方で何をもって本人が作品を作品としているのか、それは初期衝動を体現出来たかといった極めてプリミティブな基準に始まり、表現で遊ぶという、歴史的に見て芸術の普遍的な本質の部分である。
既成概念は形骸である。作品としての機能が伴えば良い。生きる悦びが作品から発せられれば良いのだ。現代人は進歩した文明の恩恵により便利に生きているが、それゆえ文明の潮流や常識に想像力が圧迫されているのではないだろうか。そういった規制にたいして反発する表現がもつ不安定さは不安定であることを肯定する信念がある。規制による鎮静された安定や固定化に犯されることない不安定で素直なニュートラルさを探している。
とはいえ、同時に既存のレールに従うことが器用に出来ない作家の持つ軋轢を体現しているにすぎないかもしれない。
目下、経済的な問題である。キャンバスは高い。パネルは高い。それらの事実は経済力が無ければ制作をしてはならないと社会に宣言されているようなものだ。
同世代のそれほど裕福でもない作家達が出遅れて欝になっていく現実がある。
裕福なパトロンが憑いている画家も貧乏の画家も、貧富の差が、彼らの表現の更新の欲求の速さに関係ない。
現状への不満という根源的な感情が頑固に作家本人の方向性を屈折させるのである。
なによりの証拠は描かれた表現群に、素直な作風と意地悪な表現がランダムに混ざる点である。
それは否定することではなく、現代が美術に与える理不尽さと軋轢の生きた爪痕である。
時代といくらかの人間が対立するのは健全なことだ。

hey,,, Do you know English,,?
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by wasurerare | 2010-03-31 17:31 | Artist Statement

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Topics April 8 info
I`m showing you generaly my news and current activity here.
Check bottom.
I wish you come to my events.


「墨の新しい可能性」_ アートスペース羅針盤…企画グループ展参加,目下制作行為中,会期4/19-24 coming soon ! 


_ 本島アーティストレジデンス応募…一次審査結果待ち
_ビエンナーレうしく2010…応募書類提出済み&制作行為中
_海外レジデンス探し…行為中,今のところ成果なし。
_ホームページ工事…行為中
_トーキョーワンダーウォール2010,目下応募書類記入行為。










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by wasurerare | 2010-03-29 23:08 | INFO!

日記

アメリカのレジデンスサイトを見た。英語は得意にならなきゃと思う。
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学生の時の旅先にレジデンスがあるらしい。でも有料か。

昼に月末の支払いなんとか成し遂げた。ハイネケンの瓶のラベルが紙ら透明のシールになった。ファミマで購入。アサヒ芸能立ち読み。ハイネケンの瓶が好きだ。風味が効いてるから。大麻っぽい風味。別に吸うのは好きじゃないが、風情がある香りと苦みだ。帰宅します。

はらごなしだった。うしくからコンクール受け付け完了の封書がきた。正直制作環境が良くない。レジデンスという次のステップに上がりたい。  2010/3/30
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Jウォークといえば旅先の知人だが、薬物好きだったなあ。
立川を歩いていたら馴染みの飲食店の社長に会った。仕事ないっすかときいたら、同じく馴染みの職人の客にきいたみてくれるそうだ。ドイツに行きたいので資金が欲しい、ドイツのアートシーンに殴り込みしたいと言ったら、社長も納得したようだった。始めてドイツに行きたいなんて口に出したが、意外と行きたい、そう思うのだった。クロネコヤマトに行くのが立川まで歩いた目的だったが暗くなるまでふらふらした。
先日友人の手引きで有名作家に会いに行った。翌日有名作家は自分の個展に来てくれた。
作品を判定して貰った。気体を通りこしてプラズマなのだという。プラズマしかないそうだ。
プラズマの意味は具体的には分からない。結局比喩による表現で、それが暗示するものを見出そうとする、フォーチューンクッキーの読解みたいなアンテナを張る作業だと思った。
説明を聞くと肯定的な意味でいえば前進した芸術で、否定的な側面は流通経路が難しいということだった。
後日アトリエに遊びにいったら気さくに相手していただいた。
自転車を借り、酒を買い出しにコンビニに行ったが、春一番でとめたチャリが駐車場で若者の車に倒れ傷つけたらしい、若者に連絡先教えたら翌日、タダで許してくれた。

むかつくのは最近金が無くて実家にいることに由来する。絵描きの生活への理解が不完全な親に由来する。
結局大事にされているのだが、勝手な把握をされてしまう。
バイト以外は寝ている、そんな風に見られている。そんなことはない。資料を作ったり制作したり応募したり勉強したり、余暇はないのである。寝るべきなのは、壁にぶつかってにっちもさっちもいかない時と、酒飲んで酔いが深いときとイラついている時だ。
作家としてやるべきことがあってバイトしていなくても忙しいことを他者に理解を求めるのは難しい。
だれも助けてくれない。自分の実家はプライバシーはない。集中できない。
それでも、ストーブがあったりするので体力は削られずらい。しかしストレスがたまると暴飲暴食、不貞寝、見たくないテレビをつけ続け、寝ない、という症状になり何も生産しないし何も考えられなくなる。
それじゃあいけない。
困ったあ困ったあである。
それでも頑張る。金ないのにエンゲル係数を無視した食事をする。
エネルギーがないと踏ん張れないのだ。
外でラーメン食べた。脂っこかった。
それを食べないと頑張れなかったのである。
加藤和彦の文芸別冊を数時間立ち読みしたり、パソコンでレジデンスの機会をさがしたりできないのである。
機会が欲しいそれのみである。今の生活は援助される機会がないと成り立たない。
日雇いはできるだけしたくない。
日雇いをしない可能性の方が価値があると信じている。
ちかごろ腹が痛い。
それは位置的に胃じゃないのであるが、どうしたものか。

能楽のゼアミが離見の見ということを言う。篠原ウシオが画面を見ないでかく。見る人にはどうでもいい意図を無くすためか?しかそれはしパフォーマンス論だ。

本屋で加藤和彦の文藝別冊立ち読み。アメリカに自分がいっているときになくなった。ミカバンドをロスでカラオケした。

久々の本屋には表紙だけ見て読みたい漫画が沢山ある。買って読めないのが悔しい。金持ちになったら大人読みしてやる。

昨晩呑んだ。ごまかしながらただ酒。友人のさよなら会だった。ポートフォリオが完成した。入浴後、クロネコヤマトで送る

ポートフォリオを作って月末までに瀬戸内海に必着させる今晩クロネコヤマトで送ろうと思う。これから出力キンコスが家の近くにないのが痛い。

九時起床。デニーズで朝食、公募書類を作成中。昨日の酒がぬけない内に終わらせたい

10時起床、ぎりぎり遅刻しそう。スーパーの焼きおにぎりとシュークリーム朝飯。日暮里駅ホームでエメラルドマウンテン買いのむ。
昨日のヒット数は51人。何かあったのだろうか。

パソコンを使った作家営業を今からする。
レジデンス等の海外サイトをあたる。英語読解経験値上げもあるがまっとうに制作と食いぶちと旅行が統合されたレジデンスなどが出来ないと干からび死ぬ。

最近作家がブログをやることについての話をすることが多い。
先ず否定論から入ろうとする話し相手は封建的で高齢者向けテレビの司会者みたいだ。

2010/3/29

就職しながら制作する知人の作家と終電で話した。彼は働かないと制作のことを考えすぎるから今の就職しながらの状態はちょうど良いと言った。自分は作品のことを考えるよりもお金の支払いのことを考えてしまうことが多い。逆に考えなくてよかったのだなとも思った。考えられるときに考えればいい。

以下ポートフォリオ材料
<ファイルを閲覧する方々へ>

このファイルに納められた画像は、2010年3月の個展の模様です。
ロサンゼルスで滞在制作したものと、帰国後制作したものをギャラリーの壁に貼りつけました。人種のルツボのロスの同性愛者のイラン人が経営する手芸店で購入した布やビーズは私に新境地を与えました。
見出されたそれらは素材として制作に融け込みました。どこの国から来たのかわからない物珍しいアイテムに惹かれたのは、そこに産業と物流という背景の巨大な人間の欲望の気配を感じたからだと思います。それらは私たち人間の生きる力が篭められた物質達です。
私は絵を描くという表現を続け生きてまいりました。今回の展示においては現代人の表現自体が産業に支えられている事実の気配を絵に添加しました。人間が生きようとする力を作品から発することになったと思います。会場を訪れた方が一人でも気持ちよく、元気になれたのであれば展示した甲斐があるというものです。
これからも制作を続けながらこの手芸屋のような出会いを探して表現を前進させたい。
なお、各々の作品のサイズや素材に関して、気になる場合は作家本人にお問い合わせくださいますようお願いいたします。やはりそれらには思い入れのある名前が付いています。(メール:wasurerare@live.jp電話:090-)それらの情報を記載しないのは、字が無い方が写真が見やすいと思ったからです。
展示とは関係のない文章を一見意味不明ですが唐突に添付しました。
アルバイトの試験に書いた文章です。悪乗りかもしれませんが制作行為に対する私の日常の考え方や、作家として近い将来活躍する可能性が垣間見れればとし、載せました。良いお答えや反応をお願いいたします。


                              柴田 智明 2010/03/28



「苦労した点と工夫した点」
制作者:柴田智明

この個人的に馴染みやすい課題に私に気配りが試されているのだと考えました。ものづくりの上で柔軟でアグレッシヴでありたいので業界に頓珍漢であることを怖いもの知らずというポジティブなスタンスで考えました。あたふたしつつもホ−ムメード的な風通し良くあたたかな手作り感の魅力を演出することに勝機を見出そうとすべきだと考えました。一時審査資料は私のブログとそこにアップデートしている美術作家としての私のドローイングでした。守ってきた私のアイデンテティーやオリジナリティーをある基準に対応できるものとして出せるかが今回の私の問題意識の一つの焦点でした。本格的な絵コンテはよくわからないものの。幼少のころに一度は漫画家になろうとして挫折したこと、ウゴウゴルーガというテレビ番組の影響で中学校のパソコン部に入部しBasicという言語でアニメーションを作っていたこと、立川の浪人生の時、美大の映像科に入ってみようかと一度美術予備校の映像科対策ゼミというスポットの講座で受験対策のアート風な絵コンテを数回きったこと、美大を卒業した直後、漫画の持込や投稿したこと。切れ切れになって終わったかと思われたそれぞれかじった程度の映像周辺の個人的な体験や思い入れを統合し継続できる、もしくはリベンジの舞台だと思い、課題に取り組みました。リサーチは身内が参考になりました。美術専門学校で知り合ったという兄のお嫁さんが去年子供を生み、正月に実家に来たり、先日打ち合わせに行った去年までニューヨークに住んでいた写真家と結婚した美大の先輩も1歳に満たないお子さんがいたり、最近、絵描きの友人のパーティーに行くとそこには必ず誰かの新生児がいたり、ほとんどの私の人間関係が美術系ではありますが、彼らが私には重要な目安に感じられました。彼らに共通して見られるのは、親も子もなんとなく服が上質であること。お古の場合でも実は高級品。実は貧乏だが実用的なファッションやデザイン、イメージを好むようです。そういった実用的な少し高級な品物を嗜好品だと馬鹿にしない彼らこそ、タンポポ茶のようなオーガニックで実益的なイメージのある商品にアンテナを立てていて購買の意欲も可能性も旺盛ではないかと、まず想定しました。実際彼らの中でタンポポ茶を飲んでいるという声もありました。彼らの感性の共通点を考察しました。凡庸なノーマルなものよりもキッチュだったり、少し斬新だったり少しとがったもの、少しラディカルで安心感あるものを好む傾向がありそうです。彼らは冬、実用的な有名アウトドアブランドの洋服を身につけています。パタゴニア社のような実用性を兼ねた華やかさ、比較的簡素だが細部にこだわりと高級感あるファッション性、雨風を通さず汗は出すだとかファブリック自体にパワフルな物理的機能性を有するイメージや根拠のありそうな安全らしい安心感が好まれるようです。しかしより重要なのはそもそもアウトドアという解放的な、リラックスするためのツールという感覚だと思います。対象になるのは女性なので、女性的なあったかい、感覚的な作風がエッセンスとして向いているはずです。私はそもそも絵描きです。あるテーマでもあり作家としてそして人として貫いてきた姿勢があります。それは根拠のない情報がもっともらしく氾濫する現代に反感を持ち自我や根拠をガードするためにあくまで個人的な出来事を描くことでした。私のその感覚的であり個人的なフリーハンドの作風の絵もアニメの原画に用いたなら、アンチ前時代的大量生産大量消費、アート、ロハス、ゆとりといった追欧米型個人尊重主義のゴージャスなイメージに接近でき、少しアグレッシブではありますが課題における付加価値のある一つの提案として成功なのではないかと思います。㈪の課題では妊婦もくすりとするようなファンシーさ演出すべく愛嬌のある動物やほっこりする人物を配置しました。㈰の課題の焦点は対照的に商品の持つシャープなブランドイメージを守ることを念頭に置きました。気配りがなされた情報伝達手段としての機能性も商品にたいする安心感を害さない要素だと思います。わからないなりに大事なのは気配りで、それは喫茶店のルノアールのバイト体験と同じだと頑張りました。締め切りいっぱい気配りに勤めました。



<アルバイト求人応募時のレポートより>
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by wasurerare | 2010-03-29 22:26 | Ikoi_Girl__憩娘

手紙

”展覧会させて”のメール打っときました。遅かっただろうか。
月末締切の瀬戸内海での滞在制作の公募があってまた懲りずに書類作ってます。
今度は推薦文なしです。最新の個展の資料を作るのも兼ねるから良いですね。
家のプリンターが信頼できないので画像をkinkosで有料で出力するべきか悩んでます。
アメリカの環境と変わりません!
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by wasurerare | 2010-03-28 14:05 | Ikoi_Girl__憩娘

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アーティスト・ステートメント



ユニークな作家として国内外で活躍していきたい。
日本画を学びプリミティブな制作の感性を伸ばすことが出来た。
アジア人の作家である以上、日本画を専攻出来たのはアジア独特の気候と素手で
格闘してきた伝統と感性にふれたことで、作家としてメリットがあった。
昨年ロサンゼルスで生活して大事だと思ったのは堂々とすることだ。
身につけてきた表現の土壌を自信をもって表現していきたい。
アートは個人から出発し個人を愛する行為であると思う、私がアーティストであるのならば、
その活躍が他者を豊かにしなくてはいけない。
強靭なアーティストの挑戦や生き方は注目される。
ユニークで魅力的な作家生活の更新で評価される存在であり続けたい。



滞在プラン

昨年3カ月ロサンゼルスに滞在した。
言葉のわからない場で馴染み、その滞在が成功だと思うのは
結果として私のメンタルが変わったことだ。
友人も多数できた。彼らは私のペインティングに登場した。
写真ではなく、思い出し描くことは絵の表現の可能性を広げる。
もう会えないかもしれない滞在先の友人らはメキシコの血やら
ドイツの血やらが混じっていた。
人種が違っても共通する、彼彼女たちに教わった重要なことは
生きることに食らいつくようにオープンで、チャレンジャーであることだ。
マイノリティーしか乗らないバスに乗っても乗客は話しかけてくるし、
言葉の壁自体が前提であることが豊かな、深い相互理解につながるケースは良くあった。
そこには誰もが困っていることを前提とした自然と他者の力になってあげようとするフューマニティーの風土があった。
今回の滞在先は訪れたことのない土地で、実情をしらない。
土地を知ることは、そこに生活する人と接点をもつことだ。
他者と交流し作品を新しくすること、作家活動が魅力的に更新されることが期待される。
ほぼ毎日島を出歩き、出会いと交流を求めたい。



交流プラン

出合った島民を作品に登場させる。
成果発表の意味で、定期的にスタジオを開放したり、展示を行う。
自作に出会った島民が描かれているのを描かれた本人が見ることを前提に
描く。
スケッチブックを持ち歩き、島民とコミュニケーションをとり、
紹介してもらった風景や、思ったことを作品に反映する。









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by wasurerare | 2010-03-28 00:36 | Artist Statement

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by wasurerare | 2010-03-25 16:15 | Ikoi_Girl__憩娘

嘘タモガミ論文

瀬戸内海の牟礼人(?)というところにお邪魔したことがある。陶芸作家のアトリエがあって、煉瓦の工場がある。いつもそこにはさざ波が押し寄せる。それを似た環境だと想像するとノイズのない良い環境だと思う。
単純に移動して起こった時間経過を表現に投影することになる。
知らない土地での理想を追った制作。
しかし2か月しかない。出来ることしかできないが、理想に掲げたものが本当に素晴らしいかわからない、行動によって生まれた成果の前では。

中略
きっとそれは食と言うカテゴリーをはみ出した大きな問題を抱えている記憶のはずだ。

(1)親の前でフルーチェを吐く、(2)甘い納豆、(3)自作インディアンカレー、(4)タッパー巨大コーヒーゼリー、わりかし個人的に恥ずかしいい記憶が思い当たる。
1)フルーチェは小学生の時の記憶だが、楽しみにしていたフルーチェを母親に適当な分量で作られ、抗議の為、夕食の席で「糞まずい、ババア」と言って、一度口に入れたものをまだとり分けられていないフルーチェの入ったボールに吐いた。2)甘い納豆は、アメリカに滞在した直後、アメリカ料理の甘ったるい味付けにヒントを得て日本の伝統食材である納豆に大量の砂糖を混ぜてみたら凄い粘りになって面白く、おやつとして味も悪くなかったという体験。3)自作インディアンカレーはインディアンカレーという看板メニューのある劣悪きまわりない労働環境の洋食屋でいらいらしながらアルバイトしていた時、実家で出てくる食事が非常に手抜きでしかもおいしくなく、いらいらしながら職場で覚えたものを家庭で出来るレシピに変えて一人台所で作って食べた思い出、4)大学のサークルの花見で自作の一品それぞれを持ち寄るという機会に持っていったのはゼリー。それは実家では当たり前のデザートだった。他の部員のレシピ本などを駆使した華やかな料理の前では生温かいゲテモノとなった。

一度口に入れたものを出したり、一見、食べ物で遊んでいるように見えたり、私が思い出しやすい思い出というのは、個人的な内省的な物語や論理の中では大真面目で筋書きがあるのだがなにか足りないのと投げやりさのためその風景に唐突でありトラブルを起こすといった出来事だったことが多い。個人的テロの構造に近いのかもしれない。同じ歳の青年が大学の恩師を大学構内のトイレでめった刺しにしたのは記憶に新しい個人的テロだ。自我の存在がそこにはある。いうなれば個人的なこだわりである。その対象との関係の形である、個人的こだわり、しかしそれは執着であるがloveと言えるかもしれないのか、それは判らない。ただ正しいと言えるのは自分も含めスケールの小さい奴が多いということだ。結局は自分を含めた情けない状況への当てつけでしかない。しかしながら状況を変えることは状況を変えることで能動的になし得るのだ。その点で舞台を人殺しでなく食にするところを肯定する。料理も創ることだ。自ら包丁を握るからには可能性にトライしたい。むしろ可能性を摘もうとする行為や構造に対して私はヒステリーを起こす傾向がある。

個人ではなく団体の主張するところでいえばシ―シェパードが捕鯨船を攻撃するが、捕鯨の根拠は必ずしも食料としてのクジラへの愛ではない。ときに捕鯨の現場は職場であるからだ。最近テレビで見た報道の、人々がクロマグロ禁輸否決に胸をなでおろした、というのはなんとなく人々の食文化への愛を感じることが出来る、しかし人々といってもそれが誰だかわからない。きっと胸をなでおろした人が多くいたということだろう。

言いたいのは消費者もしくは端末としての人間である個人個人にしか愛という感情は存在しないということだ。つまり愛ないし執着心という感情は個人個人の精神的な領域の出来事なのである。

厳密にいうと生活に困るからほっとするというのはマグロへの愛ではない気がする。
タレントのさかなクンみたいな態度にサカナへの愛を見つけたい。
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by wasurerare | 2010-03-20 00:52 | Ikoi_Girl__憩娘

野球、そば、

神宮に野球みに行って秋葉原でそば食った。
公募情報探してもこれといった良い物件が無い。
発表する場所が無さ過ぎる。悔しい。
いやいやそんなことをいっていてはだめだ。
初心が大事。だが、それが難しい。
青木の背番号を家が理縫い。
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by wasurerare | 2010-03-18 00:04 | Ikoi_Girl__憩娘

個展終え

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個展を終えました。いろんな方々が来てくれて、画廊の人も友達の多さに驚いていました。
絵じゃなくて生き方を支持してくれている人達が多分絵を買ってくれたのでしょう。
そう考えると、生き方を改めたくはない気もする。
最近変わってきたのが身の回りの人が僕を擁護してくれるようになったこと、それは口だけかもしれないが。
僕がアルバイトが続かないのを肯定するようなことを言う人達がいる。
作家はバイトクビになるくらいの性質のほうが良いかもと今日も言われた。
会期中、業界の偉い人が来廊してくれたのも恐縮だったが、そのためその時居合わせた友人達に構えなかったのが残念でならない。しかし仕方ない。なぜなら銀座の貸ギャラリーで発表することというのは「売り込み」という目的なり目標が第一にあるのだから。同窓会ではないのである。その一方でDMを同窓会に誘うように配る自分は良くなかったと気づいた。非常に申し訳なかった。
理不尽さに対した、さびしいという感情のつらさは知っているつもりだ。
年末に知人が死んだ、と共通の知人だった知人に昨日聞かされた。
死んだ奴のさわやかだった、顔が思い出される。
まさか、そいつが、といった健全そうな若い人物だった。
彼はキンミヤの焼酎をコーラで割って飲み続け多摩川の土手で泥酔していた僕にもそれほど引かず付き合ってくれた良いおニイちゃんだった。彼はさびしさを知っている人物だったのだろうか。
過労死なのか、とそれを知らせた知人が言った。
飲食店のバイトはつらい。そして芸術をこころざしながらのバイト生活は、なおつらい。
僕はそいつと同じくバイト生活しながら作家活動続けてきたが、確かに肉体的疲労や精神的屈辱によるピンチがいくつもあった。そういった時必ず僕は生きるために即刻職場を放棄した。体はでかいが強いほうではない。
僕はだらしない人間だ。しかし自分を守るのは自分しかいない。そのためのそれを肯定している。
バイト先のスタッフの中では働かないほうだったかもしれないが、バイト自体むしろ作家としては本来やらなくてもいい仕事だったのも事実ではないのか、生活さえかかっていなければ。
バイトも本業もハンデキャップを追いながらの継続なのである。
本業で徹夜してバイトで徹夜して、というのはとても異常なことだ。
しかし生真面目にやると、そういう期間は絶対強いられるのである。
現世の模範的経済社会のカタチが人間にやさしい根拠などどこにもない。
ぼんやりそんなものの言いなりになっててたまるか、と言いたい。
死んだ奴は素直で若かった。それだけに無理を通しまくったのかもしれない。
知ったような顔をして多数者の凡庸な意見を繰り返すような人間にはたとえ親でも耳を貸してはいけない。
死ぬぞ。そこそこ悪くなれ。野生の動物を見習った方が良い。
ブルーノート東京に初めて行った。
チケットを演奏に来たパーカッションのおじさんがくれたからだ。
彼はアメリカ人で昨年僕がロス滞在した時、遊んでくれた女流画家の夫だ。
僕のロス滞在が充実したものになったのは彼ら夫婦の力が大きい。
女流画家はもともとシンガーで、二十歳そこらでニューヨークの学校でジャズの勉強をしにひとり渡米した。
その渡米して間もない異文化に慣れない彼女を案内したり連れまわしてくれた現地の友人の存在に感謝の気持ちを忘れることが出来ないと言い、同じく言葉も出来ない自分にその頃の彼女自身を投影し、今度は彼女が連れまわしてやろう、と企てたのだった。
隔週でおうちに泊めてもらったり御馳走になった。朝、3人で犬を散歩に連れて行った。
犬がスプリンクラーに突っ込んだ。
時間を隔て自己投影することはどうやら涙腺を弱くするらしい。
なんどか彼女は泣いた。
彼女が昔バンドを組んでいたメンバーが喫茶店でライブをするということで同行した。
子供を産んで画家に転向した後、そういうイベントに本来彼女は顔を出さない。
演奏を聴き、車で僕をアパートに送る道中、彼女は泣いた。
そのメンバーとは当時ルームシェアしていて濃い思い出があるようだった。
涙を誘うような戦慄を合わせた演奏と、僕がその記憶をつなげたようだった。
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by wasurerare | 2010-03-15 22:18 | Ikoi_Girl__憩娘

2010/2/12(Fri)Up-date infomation.

個展!!
Tomoaki Shibata SOLO EXHIBITION is coming soon.
date: 8th mon. to 13th sut. March 2010.

open time: 11:oo to 19:oo (13th only, it finish at 17:oo)

place: Gallery Q

個展期間中、3/Q(3月9日火)はサンQーアートの日! Qは夜Q時までやってるよ。呑みに来て!!!個人的に朝Q時まで付き合います。是非是非。
レッサーパンダも待っている!

「会場場所住所MAPはクリックGallery Q

サンキューアートの日」?
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last past!!!!
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by wasurerare | 2010-03-13 07:49 | INFO!
Tomoaki Shibata, Artist from Japan is owner of this home page since 2006.Tomoaki runs own 2 home page. Another is main act. This act: news&blog Another:main.. http://wasurerare.jimdo.com/