漫画風

漫画のような絵だという見解に相違ない。それらの私の絵は漫画か漫画じゃないのか。
漫画ではないとはっきり言おう。けれどそれがどうしたといったものでもない。
自分が制作に悩むことがある、一定の手数以上描くと魅力が無くなるという現象がある。
つまり、描いているうちに興味が遷移して行き、結果、相殺されたグレーな作品が出来る。
描く、極めるという絵画的なプロセスが否定されるのか?
別に自分の作品にだけ言えることではない。
それらの絵画的プロセスと言うのは実は私にはなじまないのではないか、と思う。
もっと日本的な、というか独自な方法が望まれるのではないかと、私の体は感じているように思う。
そもそも、それらの絵画的構成だとか方法は、何のためかという問題である。そもそもそれに耽溺できるほど私はそれらに明るくない。
絵画的文法というのは、それしか絵として認められるものがないという、古めかしいものではないのか。
つまり、現代においてはクラシカルであるとすることは、足かせになる現実がある。
ゴッホは良い作家だ。クーンズは巨人だ。彼らは、従来の足かせから自由に生きたはずだ。
それが良いのだ。それが虚構かもしれないが、突破者のイメージなのだ。
だから、従来性というのが身になじまないというのが自分の武器なのではないか。
そんなことより出来ること、出てくることが大事なのだ。
自分は自分の絵の専門家にしかなれない。
その類の足かせは、きっと虚構の確証というマザコン性なのだ。
作家としての親殺し、それは私に向いているのではないか。
それは構築ではない。 暴言や暴力だ。 それが今を生きることの切実さだ。
その運動はぬくい家を捨てるべきだ。
だからこそ自分の手や足が武器なのだ。
ないところに行き、ないものを仕立てることの重要さ、それが自分の意義だ。
何かになろうとしてはいけないのではないか。
自分が自分になろうとしてはいけない。
目の前を追うのだ。
日本画の創世記、独自のイデオロギー、理念が新しく、それだからこそ名作が生まれた。
しかしそれはそれなのだ。
すでに受けた影響以上吸収しようと頭でっかちになったらいけない。
なにもないから仕立てることが
私の美ではないか。
無化されたものから楔のような切実な生が立ち上がる。
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by wasurerare | 2010-05-11 00:56 | Artist Statement
Tomoaki Shibata, Artist from Japan is owner of this home page since 2006.Tomoaki runs own 2 home page. Another is main act. This act: news&blog Another:main.. http://wasurerare.jimdo.com/
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